「菰方さんって、どんな人ですか?」
そう聞かれると、私は少し困る。
ミレワンを製造しているベストアメニティ株式会社は、日本で初めて「雑穀米」を商品化し、人と動物の健康を追求し続けてきた食品メーカーだ。
その社長である菰方順子さん。
美人で華やか。
けれど――。
そんな言葉だけでは、まったく足りない。
今回の取材で私が出会ったのは、
何度壁にぶつかっても、そのたびに立ち上がり続けてきた、一人の女性だった。
雪の日、幼い子どもたちを連れて家を出たこと。
人気者の男の子に汚された制服を守ろうとして馬乗りになった中学生時代。
15年間、赤字が続いても、事業を諦めなかったこと。
そして、愛犬シャネルとの別れ。
そのすべてが、今の菰方順子さんをつくっていた。
実は私自身、HANAのために始めたミレワンを、どうやってもっと多くの犬たちへ届けていけばいいのか悩んでいた時期があった。
その時、菰方さんはこう言った。
「ミレワンを、絶対に続けてください。」
理由を尋ねると、迷うことなく答えた。
「命だから。」
その一言には、26年間、犬のごはんと向き合い続けてきた人だけが持つ重みがあった。
犬は、言葉を話せない。
だからこそ、決して騙してはいけない。
犬たちは、自分でごはんを選ぶこともできない。
「このごはん、臭いよぉ。」
「このごはん、体に合わないんだよ。」
そう伝えることもできない。
だからこそ、人間が責任を持って選ばなければならない。
そして、作り手は、犬たちを決して裏切ってはいけない。
そう考え、26年間、安心できる犬のごはんを作り続けてきた一人の愛犬家。
ペットフードは、成分や原材料を見ることはできても、その向こう側にいる「作り手」の思いを知る機会は、ほとんどない。
だからこそ私は、ミレワンを作ってくれている人たちが、どんな思いで一粒一粒を作っているのか、いつか必ず伝えたいと思っていた。
これは、犬の命と向き合い続けてきた、一人の女性の物語である。
第一章 田舎のヤンキー

3人姉弟の末っ子(写真中央が菰方さん)
「私、田舎のヤンキーですよ(笑)」
取材が始まって間もなく、菰方さんはそう言った。
今年4月に社長へ就任した人の言葉とは思えず、思わず私も笑ってしまった。
福岡県三潴郡大木町。
イ草、米、麦、玉ねぎを育てる農家の三人兄弟の末っ子として生まれた。
姉と兄がいる。
両親の願いは、ただ一つだった。
「誰か一人は県立高校へ行ってほしい。」
姉も兄も県立高校を受験したが叶わなかった。
その期待は自然と末っ子の順子さんに向けられた。
本当は遊びたかった。
友達とも遊びたかった。
それでも、厳しい塾へ通った。
第一志望の高校に合格した時、両親から言われた。
「高校に入ったら遊んでいいから。」
順子さんは、その言葉を信じた。
そして、本当に遊んだ。
入学当初は学年450人中50番くらい。
ところが夏休みが終わる頃には、学年450人中450番になっていたという。
「卒業するまで、その辺りをキープしてました。」
そう話す姿に、また笑ってしまう。
単位も危なかった。
それでも良い先生との出会いがあり、なんとか卒業できた。
短大へ進学する気はなかった。
親にこれ以上お金を使わせたくなかったからだ。
しかし先生が家まで説得に来た。
「とにかく短大だけは出ておきなさい。」
結局、国語と英語で受験できる短大へ進学した。
だが、その頃も相変わらずだった。
バイクに乗り、友達と遊び回った。
一方で、農繁期になると必ず家業を手伝った。
田植え。
麦刈り。
玉ねぎの収穫。イ草
兄は東京へ出ていたため、姉と二人で兄一人分まで働いた。
「イ草と、お米と、麦と、玉ねぎで学校に行かせてもらいました。」
その言葉には、農家の娘としての誇りがにじんでいた。
そして何より印象的だったのは、その負けん気だ。
小学生の頃、男の子二人と喧嘩をして勝ってしまった。
気がつけば、
「よりゴリラー」
というあだ名が付いていた。
中学生の時には、姉から譲り受けた大切なセーラー服を男の子に汚された。
姉はこのセーラー服を妹に譲らないといけないからと、三年間大切に着用してくれていた。
「姉は表生地のまま着用し、私は母が生地を打ち換えて裏生地を表にしてくれたものを着用した。」
だから、怒りがこみ上げた。
そして相手を馬乗りになって叩いた。
「それからは、誰も近寄らなくなりました(笑)」
本人は笑って話す。
けれど私は思った。
この人は昔から、理不尽なことに負けない人だったのだ。
後に年上の社員たちと向き合い、
会社を率いることになる菰方さんの原点は、
もしかすると、この頃にあったのかもしれない。
第二章 家の敷居はまたぐな

新卒で保険会社の事務の仕事に就く菰方さん
短大卒業後、福岡・天神の保険会社へ就職した。
「その時は都会の人でした(笑)」
三潴郡大木町から天神へ。
初めての都会。
初めての社会人生活。
そして恋愛。
やがて結婚する。
しかし両親は猛反対だった。
それでも結婚した。
駆け落ち同然だった。
父は言った。
「家の敷居を二度とまたぐな!」
実家との縁は切れた。
結婚後、久留米のとある長屋で暮らし始めた。
三年間で三人の子どもを授かった。
長女。
次女。
長男。
毎日が慌ただしく過ぎていった。
三人目を身ごもっていた頃、祖父が亡くなった。
それでも実家へ行くことはできなかった。
駆け落ち同然で家を出た娘だったからだ。
そんなある日、母から連絡が入った。
「お父さんが危ない。」
インフルエンザをきっかけに重い感染症を発症し、足を切断しなければならないかもしれない状態だった。
福岡や佐賀でも亡くなる人が相次いでいた頃だったという。
病院へ向かった。
久しぶりの再会だった。
父は涙を流しながら娘を受け入れてくれた。
その日を境に、少しずつ親子の時間が戻っていった。
「父も母も、ずっと見守ってくれていたんだと思います。」
そう静かに話した。
その頃には、三人の子どもたちの母になっていた。
三年間で三人。
毎日が戦争だった。
冬に生まれた次女をお風呂へ入れる時は、一歳になったばかりの長女に、
「寒いから、そこにつかまっとってね。」
と声をかけながら、一人で三人を育てた。
当時は今と時代が違う。
「九州男児ですから(笑)」
おむつを替える。
家事をする。
赤ちゃんをあやす。
そんなことは女性の仕事だという空気が当たり前だった。
やがて義父の体調もあり、ご主人の実家で同居が始まる。
三人目が生まれて間もなく、化粧品販売の仕事へ就く。
末っ子はまだ生後三か月だった。
そして、ご主人は夢を語った。
「居酒屋をやりたい。」
昼は化粧品販売。
夜は居酒屋の手伝い。
休みのない日々が続いた。
家計を支えなければならなかった。
だから働いた。
ただ、ひたすらに。
けれど結婚生活十年目。
少しずつ家庭は壊れていった。
酒。
暴力。
怒鳴り声。
そして最後には包丁まで出てきた。
それでも離婚は考えられなかった。
親の反対を押し切って結婚した。
駆け落ち同然で家を出た。
自分で選んだ人生だった。
親に恥をかかせたという思いもあった。
だから耐えていた。
何度も。
何度も。
第三章 雪の日
その日だけは違った。
小学二年生だった息子さんが、お母さんを守ろうとして飛び出した。
両手を広げ、「お母さんを叩くな!」と。
姉たちは怖くて柱の陰から見ていた。
けれど息子さんは違った。
母を守ろうとした。
しかし次の瞬間・・・
息子さんは2m近く、吹き飛ばされた。
その姿を見た瞬間、
菰方さんは思った。
「もう無理だ。」
2月初旬。
雪の日だった。
家を出ようと思った。
もう限界だった。
子どもたちには何も言っていない。
自分一人で出るつもりだった。
ところが外へ出た時だった。
そこに三人の子どもたちが並んでいた。
パジャマの上に制服を着て
ランドセルを背負って。
3人とも裸足で。
ちょん。
ちょん。
ちょん。
と。
雪が深々と降る夜だった。
「その光景だけは、今でも鮮明に覚えているんです。」
そう話す菰方さんの目は潤んでいた。
私も言葉を失った。
子どもたちは分かっていたのだ。
お母さんがどれだけ苦しんでいたのか。
そして、お母さんを一人で行かせてはいけないことを。
雪の中に並ぶ三人の小さな背中。
それは、私がこれまで聞いたどんな物語よりも胸を打った。
菰方さんは、その日、実家へ戻った。
そこから新しい人生が始まる。
離婚が成立するまで三年かかった。
印鑑を押してもらえなかった。
脅しもあった。
左肘には今も後遺症が残っている。
けれど取材中、菰方さんは誰の悪口も言わなかった。
ただ一度だけ、こう言った。
「主人のおかげで子どもたちに出会えましたから。感謝しています」
その言葉を聞いた時、私は思った。
この人の強さは、
戦って勝つ強さではない。
すべてを受け入れて、それでも前を向く強さなのだと。
第四章 5か月限定のパートでした

当時の内田代表と菰方さん
30歳になった菰方さんは、ある会社のパート募集を見つける。
ベストアメニティだった。
「5か月だけ働こうと思ったんです。」
11月1日入社。
翌年4月には高校新卒の社員が入る。
その時期までの期間限定のパートだった。
当時は化粧品販売の仕事を続けていた。
売った分だけ収入になる世界。
土日はエステ。
平日は営業。
休みはほとんどなかった。
ご主人の居酒屋経営も決して楽ではない。
家計は常にぎりぎりだった。
「私が稼がないといけなかったんです。」
だから土日が休みのパートは魅力的だった。
子どもたちと過ごせる時間ができる。
それだけでも大きかった。
制服を二着支給された時も、一着は袋から出さなかった。
「5か月間限定のパートだったので、新品のまま返した方がいいと思って」
そう言って菰方さんは笑う。
いかにも菰方さんらしい話だ。
当時の上司は幸子社長だった。
年齢は4つ上。
お姉さんと同じ世代ということもあり、自然と家庭の話をするようになった。
居酒屋経営のこと。
三人の子育てのこと。
国民健康保険の負担が大きいこと。
生活は決して楽ではなかった。
するとある日、幸子社長から声をかけられた。
「このまま保険付きのパートにならない?」
正社員はまだ難しい。
けれど社会保険を付けてあげたい。
そんな提案だった。
「保険を付けてもらえることが、本当にありがたかった」
あの一言が、人生を変えました 。
「幸子社長に拾ってもらいました」
そう振り返る。
そして翌年。
中途半端な時期にもかかわらず、正社員となった。
その時、初めて創業者・内田弘代表と面談することになる。
2000年。
ベストアメニティ創業11年目のことだった。
第五章 君は、いい時に入った
当時、私は31歳だった。
代表面談で言われた言葉を、今でもはっきり覚えているという。
「君は、いい時に入ったよ。」
そして続けた。
「いい年齢だ。」
「君が頑張れば、いいポジションまでいくよ。」
当時のベストアメニティには、高卒で入社した若い社員も多かった。
その中で30代の落ち着いた雰囲気の菰方さんに代表は声をかけた。
けれど菰方さんにとって、その言葉は特別だった。
主人との関係も良くない。
お金もない。
将来も見えない。
だからこそ思った。
「頑張ろう。」
人生を変えたい。
子どもたちを守りたい。
そのためには働くしかない。
そう思った。
そして菰方さんは、がむしゃらに働き始めた。
経理として入社して一年半ほど経った頃だった。
再び内田代表から呼ばれた。
「犬は好きか?」
「好きです。」
「猫は好きか?」
少し困った。
正直に答えた。
「犬は好きですけど、猫はあまり好きじゃありません。」
当時は久留米の自宅周辺で、猫が庭に入ってきては糞をすることもあり、良い印象を持っていなかったのだ。
すると代表は少し笑いながら言った。
「そうか。」
それから間もなく、菰方さんは犬のごはんをつくる部署へ異動となる。
その時はまだ知らなかった。
犬のごはんが、自分の人生になることを。
26年間、その仕事を続けることになることを。
そして――
新品のまま返そうと思っていた制服を受け取ったあの日から26年後。
5か月限定のパートとして入社した女性が、
日本で初めて雑穀米を商品化し、100億円を超える事業へと成長したベストアメニティ株式会社の社長に就任することになることを。
もちろん、その時は想像もしていなかった。
犬のごはんが、自分の人生になることも。
第六章 30代そこらの若造が
犬のごはんをつくる部署へ異動したものの、最初からうまくいったわけではなかった。
当時の現場にはパートスタッフが5〜6人いた。
シール貼りなどの内職作業も行われていた。
菰方さんは効率化したいと考えた。
「これ、外に出した方がいいんじゃないですか。」
ところが反発が起きた。
「30代そこらの若造が。」
元プロ野球選手だった男性社員からもそう言われた。
悔しかった。
泣いた。
そして幸子社長のところへ相談に行った。
「経理に戻してください。」
本気だった。
ところが数日後、内田代表に呼ばれる。
「色々あるだろう。」
そう言って、自身の若い頃の話を始めた。
「俺も26歳で支部長になった。」
「部下はほとんど年上だった。」
そして静かに続けた。
「年上を扱えなかったら、上には上がれない。」
「お前もそうだ。」
その言葉で腹をくくった。
だったら、自分がやる。
内職作業は、自分で引き受けた。
配送も回収も、自分でやった。
ある日、現場で
「もっと早くできるでしょ。」
と言ったことで反発された。
ならば、自分で証明しようと思った。
二人でやる仕事を、一人でやった。
レトルト7000パック。
箱詰め。
積み込み。
荷下ろし。
夕方から始め、終わったのは夜中の12時だった。
翌朝、菰方さんは静かに言った。
「女性一人で、この時間で終わりました。」
「男性なら、もっと早くできますよね。」
誰も何も言わなかった。
言葉ではなく、背中で示した。
「仕込みが大変です。」
そう言われれば、
「じゃあ、一緒にやろう。」
現場へ入り、一緒に汗を流した。
一緒に働いた。
少しずつ。
少しずつ。
現場との距離は縮まっていった。
誰かを守る人

YOSAKOIを全力で楽しむ菰方さん( 中央)
取材をしながら、私は第一章の出来事を思い出していた。
姉が着ていた制服を、お母さんがほどき、縫い直してくれた一着。
その制服を汚され、怒って相手に向かっていった中学生の菰方さん。
雪の日、三人の子どもたちを守ろうと家を出た母親。
そして今、現場の仲間と本気で向き合い、犬たちの命を支えるごはんをつくり続ける社長。
取材中、菰方さんはこんな言葉を口にした。
「後輩は絶対に守ります。」
迷いはなかった。
相手が誰であろうと関係ない。
部下や後輩が理不尽な目に遭っていたら、自分が前に立つ。
「性格は昔から変わってないんですよ(笑)」
そう笑う。
私は思った。
菰方さんは、強い人なのではない。
誰かを守るためなら、自分が先頭に立てる人なのだ。
だから口で語るのではなく、自分が動く。
7000パックを一人で運んだことも、その姿勢の表れだった。
取材を終えた今、私は同じ経営者として、その生き方を心からかっこいいと思う。
そして、こうも思った。
この人が犬のごはんを作っていることには、大きな意味がある。
その理由は、この先の物語で、さらに明らかになっていく。
第七章 お前に託す
ある時、内田代表から言われた言葉がある。
菰方さんは今でも忘れていない。
ベストアメニティグループには、農業、食品、健康事業をはじめ、複数の事業会社がある。
その中で、代表はこう言った。
「ペットフードをつくる事業が一番大事なんだ。」
理由は分かっていた。
愛犬・うるめから始まった事業だったからだ。
売上のためではない。
利益のためでもない。
家族だった犬への思いから始まった事業。
だから、代表にとって特別だった。
そして続けた。
「それをお前に託す。」
「本当に嬉しかったです。」
菰方さんはそう振り返る。
同時に、身が引き締まる思いだった。
グループに数多くの事業がある中で、代表が「一番大事だ」と言う事業を任されたのだから。
「絶対に成功させないといけない。」
そう思ったという。
ところが翌週だった。
農業事業部の会議で、代表はこう言った。
「農業が一番大事なんだ。」
雑穀米があったから、今の会社がある。
だから農業が一番大切なのだと。
「先週は、ペットフード事業が一番って言ってましたよね(笑)」
そう振り返りながら、菰方さんは大笑いした。
けれど今なら分かるという。
代表にとっては、どれも一番大切だったのだ。
農業も。
食品も。
ペットフードも。
どれか一つを選ぶことなどできない。
だからこそ、すべての事業に本気だった。
そして、その本気が菰方さんにも伝わっていた。
「お前に託す。」
その言葉は、やがて菰方さんの人生を支える、大きな責任と誇りになっていった。
第八章 続けた人
ペットフード事業は、十五年近く赤字だった。
今だから笑って話せるが、当時は本当に苦しかったという。
利益が出ない。
先も見えない。
続ける理由を、周囲へ説明することすら難しかった。
グループ内から、
「もうやめた方がいいのではないか。」
という声が上がるのも、当然だったのかもしれない。
一番つらかったのは、赤字だけではなかった。
人だった。
信頼していた社員に裏切られた。
右腕だと思っていた人だった。
会社に大きな損害も出た。
自分自身にも責任があると感じた。
「もう辞めようかな。」
そう思ったこともあったという。
その時だった。
幸子社長が声をかけてくれた。
「一緒に、これからも頑張りましょう。」
その言葉に救われた。
今でも感謝しているという。
当時のペット業界は、今ほど環境が整っていなかった。
営業先で怖い思いをすることもあった。
騙されたこともある。
裁判になったこともある。
それでも内田代表は言った。
「営業はいい。」
「お前は商品開発に集中しろ。」
だから菰方さんは、犬たちの健康を考え続けた。
毎日食べるごはんを、ひたすら考え続けた。
そして少しずつ、時代が変わり始める。
世界では、ペットフードを巡る大きな問題が相次いだ。
BSE、いわゆる狂牛病問題。
中国産原料によるメラミン混入問題。
多くの犬や猫が命を落とし、世界中の飼い主が不安を抱いた。
「本当に安心できるフードはないのか。」
そんな声が広がっていった。
国内でつくること。
原料が見えること。
誰がつくっているのか分かること。
それまで菰方さんたちが当たり前に続けてきたことが、少しずつ価値として見直され始めた。
そして十年ほど前から、流れが変わった。
前年対比一五〇%。
その成長が、何年も続いた。
長かった赤字の時代が、ようやく終わろうとしていた。
「追い風はありました。」
菰方さんはそう言った。
けれど、追い風が吹いたから伸びたのではない。
風が吹いた時に、そこに立ち続けていたから伸びたのだ。
十五年間。
誰にも評価されなくても。
赤字でも。
裏切られても。
やめなかった。
取材中、菰方さんはこんな言葉を口にした。
「成功した人って、続けた人なんですよ。」
私は、その言葉が忘れられない。
何をしたかだけではない。
続けたかどうか。
その積み重ねが、やがて結果になる。
そして今、お客様から届く。
「このフードに出会えてよかった。」
その言葉が、何より嬉しいという。
もし自分に何かあったとしても、このフードだけは続いてほしい。
犬のごはんは、単なる商品ではない。
命をつなぐものだから。
その話を聞きながら、私は菰方さんと初めて出会った日のことを思い出していた。
始まりは、弊社の原副社長と、ベストアメニティグループ代表・内田弘さんとのご縁だった。
そこから交流が生まれ、やがてペットフードづくりの話へとつながっていった。
そして出会ったのが、菰方順子さんだった。
「ミレワンをつくりたい。」
そう相談した時のことを、今でも覚えている。
菰方さんは言った。
「工場では、一粒一粒、魂を込めて作っています。」
私は、その言葉に震えた。
ペットフードは、機械で大量につくられるもの。
どこかで、そんなイメージを持っていたのかもしれない。
けれど、目の前の人は違った。
犬たちの命を支えるごはんとして、本気で向き合っていた。
今回の取材を通して、あの言葉の意味がようやく分かった気がした。
雪の日に子どもたちを守った人。
七千パックを一人で運んだ人。
十五年赤字でも諦めなかった人。
部下や後輩を守るためなら、相手が誰であろうと前に出る人。
そんな菰方さんだからこそ、
「魂を込めて作る」
という言葉が出てきたのだと思う。
私はHANAと暮らしている。
大切な家族のごはんを誰かに託すなら、こういう人にお願いしたい。
ミレワンを一緒につくるなら、こういう人たちとつくりたい。
つくっている人の顔が見える。
どんな思いでつくっているのかが分かる。
それは、私たちにとって何より大きな安心だった。
私はいつか、ミレワンをつくってくれている人たちが、どんな思いで一粒一粒と向き合っているのかを、きちんと届けたいと思っていた。
今回の取材は、そのための取材でもあった。
第九章 シャネルが教えてくれたこと

シャネルと菰方さん
菰方さんの人生には、幼い頃からいつも動物がいた。
犬。
猫。
鶏。
インコ。
オウム。
猿。
うさぎは、十五匹もいたという。
体の弱かったお母さんは、自由に友人と出かけられないことも多かった。
そんなお母さんのそばにも、いつも動物たちがいた。
農家の家で、命に囲まれて育った。
結婚する時には、ご主人が以前から飼っていた雑種犬が、菰方さんより一足先に嫁いでいたという。
「動物がいなかった時期って、ほとんどないんですよ。」
そう話す菰方さんにとって、犬や猫は、特別な日に迎える存在ではなかった。
暮らしの中にいることが、当たり前だった。
けれど離婚して実家へ戻った頃、家には犬がいなかった。
当時、すでに犬のごはんに関わる仕事をしていた菰方さんは、ある日、父には内緒で一匹の犬を迎えた。

シャネル。
まだ幼い、小さな室内犬だった。
それまで家で飼ってきたのは、外で暮らす雑種犬ばかりだった。
犬を家の中に入れるという発想は、父にはなかった。
案の定、父は怒った。
普段はとても穏やかな人だったという。
その父が、一週間、菰方さんと口をきかなかった。
「家の中で犬を飼うなんて。」
それほど受け入れ難かったのだろう。
ところがしばらくすると、その父がシャネルを一番可愛がるようになった。
気がつけば、家族みんなから愛される存在になっていた。
頑なだった父の心にも、シャネルはすっと入り込んでいった。
離婚後の菰方さんと三人の子どもたち。
そして、再び一緒に暮らし始めた両親。
シャネルは、その家族を静かにつないでくれた犬だったのかもしれない。
ただ、菰方さんには今も残る後悔がある。
当時は、今ほど犬との暮らし方を知らなかった。
シャネルを迎えたのは、生後三、四か月の頃。
それでも、
「犬だから、一人で留守番できるよね。」
と思っていた。
仕事へ行く。
田んぼを手伝う。
用事を済ませる。
帰宅した後、また温泉へ出かける。
七時間、八時間と、幼いシャネルを一人にする日もあった。
帰ると、ごみが散らかっていることも多々あった。
その時は困った行動に見えても、今なら分かる。
寂しかったのだ。
不安だったのだ。
「本当に、寂しかったと思うんですよね。」
菰方さんは静かにそう言った。
やがて父と母も亡くなった。
いつも家にいた二人が、いなくなった。
きっとシャネルも、寂しさを感じていたのだろう。
菰方さんは、シャネルに語りかけていたという。
「お父さんも、お母さんもいなくなって、寂しかったね。」
「でも、これからは私がちゃんと看取るからね。」
自分が最後まで守る。
自分の腕の中で見送る。
そう思っていた。
けれど取材中、菰方さんは少し笑い、首を振った。
「私がシャネルを看取ると思っていたんですけどね。」
「違いました。」
少し間を置いて、こう続けた。
「シャネルが、私を見守ってくれていたんですよね。」
その言葉に、私は胸が詰まった。
菰方さんがシャネルを守っていた十五年。
けれど本当は、離婚後の苦しい時期も、子育ても、仕事も、両親との別れも。
ずっとそばにいて菰方さんを支えていたのは、シャネルだったのかもしれない。
シャネルは、亡くなる二か月ほど前から少しずつ体調を崩していた。
一か月ほど前からは、痙攣も起こすようになった。
知人や会社の人から、
「最期は、腕の中で亡くなるんじゃないかな。」
と言われていた。
菰方さん自身も、きっとそうなるのだと思っていた。
その日は、朝五時に家を出た。
仕事のため、車で一時間ほどかかる場所へ向かった。
シャネルはいつものように、菰方さんの布団で寝ていた。
次女に、
「シャネルと一緒に寝ていてね。」
と頼んで家を出た。
ところが次女も、洗濯物を干すために少し布団を離れた。
菰方さんが現場へ到着した、その時だった。
娘さんから電話が入った。
嫌な予感がした。
シャネルは、菰方さんの布団の中で、静かに息を引き取っていた。
最期の瞬間、誰にも心配をかけないようにしたのだろうか。
大好きだった菰方さんの匂いに包まれた布団の中で、一人、旅立っていた。
電話を受けた瞬間、嗚咽が止まらなくなった。
声を上げて泣いた。
車の中でも泣き続けた。
一緒に現場へ向かっていた人たちも、その姿を見て涙を流した。
とても仕事ができる状態ではなかった。
けれど菰方さんは、スタッフたちを車に乗せて現場まで連れてきていた。
自分が帰れば、今度はスタッフたちの帰る手段がなくなってしまう。
その時、内田代表が言った。
「俺が迎えに行く。」
そして本当に車を走らせた。
片道一時間半。
菰方さんに代わり、スタッフたちを迎えに来てくれたのだ。
この話にも、内田代表という人が表れている。
社員が深い悲しみの中にいる時、言葉だけで慰めるのではない。
自分が動く。
必要な場所へ行く。
その姿は、菰方さんが現場で見せ続けてきた背中とも重なった。

当時、長女はアイルランドにいた。
シャネルの訃報を聞くと、
「私が帰るまで、火葬しないで。」
と伝えてきた。
帰りは正規料金の飛行機を手配し、急いで日本へ戻ってきた。
家族全員がそろうまで待ち、みんなでシャネルを見送った。
二月二十二日。
忘れることのできない日になった。
シャネルを失った後、菰方さんの中には大きな空白ができた。
それでも、その場所へ少しずつ新しい命が入ってきた。
ココ。
シャネルへの思いを込めて、「ココ・シャネル」から名付けた。
マイケル。
ミゲル。
さまざまなご縁から、再び犬たちと暮らすようになった。
シャネルの代わりになる犬はいない。
けれど犬たちは、傷ついた心の隙間へ、静かに寄り添ってくれた。
取材中、菰方さんは「犬の十箇条」の話をしてくれた。
犬と暮らす人なら、一度は目にしてほしいという。
そこには、犬の側から飼い主へ語りかけるように、限られた命をどう一緒に生きてほしいかが綴られている。
犬の一生は、人間よりもはるかに短い。
人には、家族がいる。
学校がある。
仕事がある。
友人がいる。
外の世界へ出れば、いくつもの居場所がある。
けれど犬にとって、飼い主は世界のほとんどすべてだ。
「子どもたちにも知ってほしいんです。」
「犬って、自分の命を削りながら、命の大切さを教えてくれるんですよ。」
子どもは成長する。
反抗期を迎え、やがて親元を離れていく。
友人ができ、仕事を持ち、自分の家庭を築いていく。
けれど犬や猫は、最後まで人間を必要とする。
ごはんも。
散歩も。
病気になった時の世話も。
最期を迎える、その日まで。
人間が責任を持たなければ生きていけない。
だからこそ人間もまた、犬や猫に必要とされることで、生きがいをもらっているのだと菰方さんは言う。
「人間って、必要とされてなんぼだと思うんです。」

長男の結婚式での一枚
三人の子どもたちは成長し、それぞれの人生を歩んでいる。
孫もいる。
子どもには、いつか親を必要としなくなる日が来る。
けれど犬たちは違う。
生涯を通して、飼い主を必要としてくれる。
「自分の老後のためにも、犬と暮らしてほしい。」
菰方さんは半分笑いながら、けれど本気でそう話した。
今は核家族化が進み、祖父母と一緒に暮らす家庭も少なくなった。
老いや病気、そして死を、日常の中で見つめる機会も減っている。
けれど犬や猫と暮らせば、命には始まりと終わりがあることを知る。
幼かった命が成長すること。
少しずつ老いていくこと。
病気になること。
そして、どれだけ願っても、いつか別れの日が来ること。
犬や猫を見送る時、大人も子どもも泣く。
声を上げて泣く。
その涙は、ただ悲しいから流れるのではない。
一つの命を、本気で大切にした証なのだと思う。
学校で嫌なことがあった日も。
友人とうまくいかなかった日も。
誰にも言えないことを抱えて帰った日も。
犬は責めない。
ただそばにいる。
いつもと同じように迎えてくれる。
命の大切さを、言葉で教えることはできる。
けれど、誰かを愛し、必要とされ、老いを見つめ、最後に見送る経験は、言葉だけでは教えられない。
犬たちは、自らの一生を使って、そのことを私たちに伝えてくれる。
菰方さんは、犬や猫との共生を通して、命の大切さを子どもたちへ伝えていきたいと考えている。
九州から。
そして山口から。
犬のごはんを届けるだけではなく、その向こうにある「命」について伝えていきたい。
シャネルが菰方さんに残したものは、悲しみだけではなかった。
寂しさを知ること。
寄り添ってもらう温かさを知ること。
最後まで責任を持つこと。
大切な存在を見送ること。
そして、命は一度失えば戻らないこと。
そのすべてを、シャネルは十五年の生涯をかけて教えてくれた。
だから菰方さんにとって、犬は「ペット」ではない。
家族であり、子どもであり、人生を支えてくれる存在であり、命の先生なのだ。
シャネルはもういない。
けれど、その十五年は今も消えていない。
菰方さんの中に生きている。
犬たちへのまなざしの中に。
命をつなぐごはんへの責任の中に。
そして、今日も工場でつくられている一粒一粒の中に。
次章では、菰方さんが語った、もう一つの忘れられない言葉について書きたい。
「飼い主は騙せても、犬は絶対に騙したらいけない。」
その言葉に込められた、作り手としての覚悟を。
第十章 「飼い主は騙せても、犬は騙したらいけない」
「飼い主さんは騙せても、犬は騙したらいけない。」
取材の中で、菰方さんが静かに口にしたこの言葉が、私は忘れられない。
決して、誰かを責めるための言葉ではない。
二十六年間、犬のごはんをつくり続けてきた一人の作り手として、自分自身に言い聞かせてきた言葉なのだと思った。
犬は、自分でごはんを選ぶことができない。
財布を持って、お店へ買いに行くこともできない。
「このごはん、臭いよ。」
「このごはんが、体に合わないんだよ。」
そう伝えることもできない。
毎日、目の前に置かれたものを信じて、食べるしかない。
だからこそ、人間には責任がある。
つくる人にも。
届ける人にも。
そして、選ぶ飼い主にも。
犬たちを、決して裏切ってはいけない。
その言葉の重みを、私は菰方さんが歩んできた二十六年という時間から感じた。
取材中、菰方さんは何度も「主食」という言葉を口にした。
「毎日、ステーキやお寿司は続かないでしょう。」
そう笑いながら話してくれた。
犬のごはんは、おやつではない。
特別な日にだけ食べるものでもない。
三百六十五日、毎日の命をつないでいく主食だ。
だから、ただ高価な原料を入れればいいわけではない。
栄養は、多ければ多いほど良いわけでもない。
少なければ良いわけでもない。
カルシウムも。
たんぱく質も。
食物繊維も。
毎日食べ続けることを前提に、必要な栄養がバランスよく整っていることが大切になる。
そして、もう一つ。
「続けられること。」
それも、菰方さんが何より大切にしている考え方だった。
どれほど良いごはんでも、続けられなければ意味がない。
犬の体は、一日でつくられるものではない。
毎日。
毎食。
年365日。
食べ続けることで、少しずつつくられていく。
だからこそ、品質だけでなく、家族が無理なく続けられる価格であることも、犬への優しさなのだという。
私は、その考え方に深く共感した。
HANAのためにミレワンをつくろうと思った時、私が目指したのも、特別な日のごちそうではなかった。
毎日、安心して食べられるごはん。
必要な栄養をきちんと満たした総合栄養食。
そして、家族が無理なく続けられるごはん。
それが、HANAに届けたかったものだった。
だから菰方さんの、
「主食だから。」
という言葉は、そのままミレワンの考え方でもあった。
完成したミレワンのパッケージを初めて見た時、菰方さんが話してくれた言葉も忘れられない。
「パッケージは、お洋服だと思っているんです。」

中身がどれほど良くても、何でもいい袋に入っていたら、その商品に込めた思いは伝わりにくい。
大切につくられたものだからこそ、大切に包まれていてほしい。
「部屋に置いていても素敵だなと思いました。」
「自慢したくなるお洋服ですね。」
そう笑ってくださった。
私は、本当に嬉しかった。
私たちがパッケージに込めた思いを、二十六年間、犬のごはんと向き合い続けてきた人が受け取ってくれたからだ。
振り返れば、不思議なご縁だった。
弊社の原副社長と、ベストアメニティグループ創業者・内田代表とのご縁から、ペットフードづくりの話が始まった。
そして、私は菰方さんと出会った。
最初に工場を訪れた時、菰方さんはこう話してくれた。
「工場では、一粒一粒、魂を込めて作っています。」
その言葉を聞いた瞬間、私は鳥肌が立った。
犬のごはんを、ただの商品ではなく、命を支えるものとしてつくっている人がいる。
いつか、この人たちの思いを伝えたい。
そう思った。
ペットフードは、成分表を見ることができる。
原材料も確認できる。
けれど、その向こう側にいる作り手の顔や、込められた思いを知る機会は、ほとんどない。
私は、誰がミレワンをつくっているのかを知っている。
どんな思いで、一粒一粒と向き合っているのかを知っている。
だから、胸を張って届けられる。
「ミレワンは、こんな人たちがつくっています。」
そう伝えられることが、私にとって何よりの誇りだ。
菰方さんにミレワンをつくっていただいていることを、心から誇りに思う。
その一粒の向こう側に、二十六年間変わることのない覚悟と、犬たちへの深い愛情がある。
私は、そのことを知っているからだ。

第十一章 「やるしかない。」――命をつなぐ、その先へ
取材の最後に、私は菰方さんへ尋ねた。
「菰方さんの座右の銘は何ですか。」
返事は、一瞬だった。
「やるか、やらないか。」
「やるしかない。」
その言葉には、菰方さんの人生そのものが詰まっていた。
実は、この言葉には二人の原点がある。
一人は、お母さん。
菰方さんは、福岡県三潴郡大木町の農家で育った。
三町もの田んぼを耕す家で、幼い頃から農作業を手伝ってきた。
試験の日でも関係ない。
稲を運ぶ。
イ草を運ぶ。
薪を割る。
風呂を沸かす。
決して裕福な暮らしではなかった。
それでも、お母さんは弱音を吐かなかった。
嫁として厳しい時代を生き、人の何倍も働いた。
口癖は、いつも同じだった。
「やるしかない。」
「お父さんを一人前の男にしたい。」
その一心で働き続けた、小柄なお母さんの背中を、菰方さんはずっと見て育った。
そして、もう一人。
ベストアメニティグループ創業者・内田代表である。
菰方さんは、代表のことを、
「父親みたいな存在です。」
と話す。
「代表は、本当にすごい人なんです。」
営業もできる。
次々と新しい発想が生まれる。
誰よりも先を見て、動いていく。
その背中を、二十六年間見続けてきた。
けれど、代表の真似をしようとは思わないという。
「私には、私の役割があります。」
代表を支える。
社員を支える。
一人ひとりが力を発揮できるように、後ろから支える。
そして、代表が築いてきた志を、次の世代へつないでいく。
それが、自分の仕事だと語った。
代表から、何度も言われてきた言葉がある。
「できるか、できないかじゃない。」
「やるか、やらないかだ。」
「四の五の言う前に、まずやれ。」
気がつけば、
母の「やるしかない」と、
代表の「やるしかない」が、
菰方さん自身の生き方になっていた。
だからこそ、十五年赤字でも諦めなかった。
二十六年間、犬のごはんをつくり続けることができた。
そして今年四月。
菰方さんは、ベストアメニティ株式会社の社長に就任した。
けれど、その姿勢は何一つ変わらない。

会社には毎日、犬たちが出勤してくる。
マイケル。
ミゲル。
社員が連れてくる犬たち。
シニア犬も。
体調が心配な犬も。
「家で一人にしておくくらいなら、会社へ連れてきなさい。」
「みんなで見守ればいい。」
会社にはドッグランがある。
シニア犬の体調を確認できるように、見守りカメラも設置されている。
犬たちが当たり前にいる会社。
犬と一緒に働ける会社。
体調を崩しても、歳を重ねても、みんなで見守る会社。
もしシャネルが今も生きていたなら、きっとここに連れてきていただろう。
犬と働き、
犬と暮らし、
犬と歳を重ねる。
それが、菰方さんの目指す会社の未来なのだ。
取材を通して、私は思った。
雪の日に三人の子どもを守った人。
七千パックを一人で運んだ人。
赤字の事業を十五年間続けた人。
シャネルから命の大切さを教えられた人。
部下や後輩を守るためなら、自分が先頭に立つ人。
その人が、今、社長になった。
けれど、肩書きが変わっても、菰方さんは変わらない。
誰かを支える。
命を守る。
そして、やると決めたことを続ける。
その生き方が、会社の未来をつくっていくのだと思う。
最後に、菰方さんは、犬と暮らすすべての人へ、こんな言葉を贈ってくれた。
「犬は、自分の命を削りながら、命の大切さを教えてくれます。」
今日のごはんも。
今日の散歩も。
今日という一日も。
二度と戻ることのない、大切な時間だ。
だからこそ、一緒に過ごせる「今」を大切にしてほしい。
犬たちはきっと、注がれた愛情のすべてを受け取ってくれている。
そして、その愛情を何倍にもして、私たちへ返してくれている。
菰方順子さんの物語は、社長に就任したことで終わったのではない。
ここからまた、新しい物語が始まる。
「やるか、やらないか。」
「やるしかない。」
その言葉とともに。

編集後記
この記事を書き終えた今、私は何度も取材中のことを思い返している。
そして、そのたびに涙が出た。
私は記者時代、「人」を何千人と取材してきた。
政治家。
経営者。
職人。
農家。
世界で活躍する人。
地域に根を張って生きる人。
数え切れないほど多くの人生に触れてきた。
その経験があるからこそ分かる。
人は、商品だけに心を動かされるのではない。
「人」に心を動かされる。
どんな人生を歩み、
どんな壁を乗り越え、
何を大切にして生きてきたのか。
その人を知った時、その人がつくるものに込められた意味も見えてくる。
だから私は、この記事でミレワンを売りたかったのではない。
ミレワンをつくっている「人」を伝えたかった。
ペットフードは、原材料や栄養成分を見ることはできても、その向こう側にいる作り手の思いを知る機会は、ほとんどない。
でも私は知っている。
二十六年間、犬たちの命と向き合い続けてきた菰方さんがいることを。
「飼い主は騙せても、犬は絶対に騙したらいけない。」
その信念を貫きながら、毎日の主食をつくり続けていることを。
過剰な栄養を競うのではなく、必要な栄養がバランスよく整った総合栄養食であること。
毎日食べるものだからこそ、無理なく続けられること。
その考え方を大切にしながら、ミレワンを一緒につくってくださっている。
そして、もう一つ。
私が菰方さんたちと一緒にミレワンを届けたいと思った理由がある。
犬たちの命を預かる以上、「安心」は思いだけでは足りない。
だからこそ、製造工場では世界基準の食品安全マネジメントシステム認証「FSSC22000」を取得した。
認証を取ることが目的ではない。
犬たちの命を預かる責任を、目に見える品質として形にしたかったからだ。
ここまでこだわるのも、
ここまで徹底するのも、
犬は、自分でごはんを選べないから。
そして、菰方さんたちが、本気で犬たちの命と向き合っている人たちだからだ。
ミレワンは、私一人ではつくれなかった。
HANAとの出会いがあった。
原副社長と内田代表とのご縁があった。
ベストアメニティの皆さんとの出会いがあった。
そして、菰方さんと出会った。
菰方さんも。
私も。
顔を出して、このフードを届けている。
誰がつくっているのか。
誰が届けているのか。
どんな思いで犬たちの命と向き合っているのか。
それを隠さず伝えること。
それこそが、私たちにできる信頼の証だと思っている。
この記事を書きながら、何度も思った。
菰方さんは、本当に映画の主人公のような人だ。
もちろん、誰もが自分の人生の主人公である。
それでも、ここまでまっすぐに信念を貫き、何度倒れても立ち上がり、犬たちの命と向き合い続けてきた人には、なかなか出会えない。
だからこそ、人の心を動かすのだと思う。
そして私は、そんな菰方さんと一緒に、ミレワンを届けられることを心から誇りに思う。
犬たちの命を本気で考え続けてきた人たちがつくるごはんを、日本中へ。
そして、いつか世界へ。
一頭でも多くの犬たちへ届けたい。
それが、私の願いであり、これからの使命だ。
この物語を最後まで読んでくださった皆さまへ。
心から、ありがとうございました。
そして、今日も愛犬のためにごはんを選び、隣で笑い合い、ともに暮らすすべての皆さまへ。
その一粒が、愛犬の明日をつくる。
その一日が、かけがえのない思い出になる。
どうか、今日という日を大切に。
愛犬と過ごす「今」を、大切にしてください。
菰方さんが一粒一粒に魂を込めて作っているごはん「ミレワン」

アニマルウェルフェアの考え方から生まれた Family Food®「ミレワン」。
犬の保育園の現場でも使われている、“食べる楽しさ”と“学ぶ楽しさ”をつなぐ総合栄養食です。

Lifestyle with Dogs 編集記者 松浦奈津子
松浦奈津子 プロフィール
山口県岩国市錦町生まれ。
山口県立大学国際文化学部卒業後、メディア業界へ。地域情報誌の編集長を経て、2015年より株式会社Archis代表取締役。
長期熟成型ヴィンテージ日本酒「夢雀」、アニマルウェルフェアの考え方から生まれたFamily Food®「ミレワン」、犬の保育園事業など、“地方から世界へ”をテーマに活動している。
2022年、山口県立大学大学院 国際文化学研究科修士課程修了。
犬が苦手だったが、ロットワイラーHANAとの出会いをきっかけに人生が変化。現在は、超大型犬との暮らしや、犬と人との共生について発信している。
愛犬はロットワイラー・HANA(3歳・女の子)。愛車はJeepのWrangler(ラングラー)。